特定の個人・団体・企業を誹謗中傷するコメントを見つけた場合、即刻削除させていただきます。ご了承ください。

2015年06月05日

陽電子






陽電子

陽電子(ようでんし、ポジトロン、positron)は、電子の反粒子。絶対量が電子と等しいプラスの電荷を持ち、その他の電子と等しいあらゆる特徴(質量やスピン角運動量 (1/2))を持つ。

性質

陽電子は陽子過多により不安定な原子核のβ+崩壊により生成される。もしくは、1.022 MeV以上のエネルギーの電磁波と電磁場の相互作用により対生成される。

陽電子は物質内に侵入すると、物質内の原子の核外電子(特に価電子、伝導電子)と対消滅し、数本のγ線となる。また、対消滅が起こる前に準安定状態の電子-陽電子対(ポジトロニウム)を作る場合がある。これは一種の水素様原子(元素記号はPs)である。電子と陽電子のスピンが反平行な一重項状態をパラポジトロニウム (p-Ps) といい、スピンが平行な三重項状態をオルソポジトロニウム (o-Ps) という。

電子と陽電子の対消滅により放出されたγ線のエネルギー分布の観測から、単結晶中の電子の運動量密度分布を求めることができる。これは二光子消滅のγ線が本来511.0 keVであるところ、ドップラー効果によりエネルギーが増減するためである。また、物質中に陽電子が入射してから電子と対消滅するまでの時間スペクトルの時定数を陽電子寿命と呼び、これを調べることにより物質中の空孔型欠陥等を極めて高感度に調べることができる。これは陽電子の消滅率が電子密度に依存するためである。
posted by gensou-choumazin at 08:48| Comment(0) | テクノロジー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月02日

電子






電子

電子(でんし、英語: electron)とは、宇宙を構成する素粒子のうちのレプトンの一つである。素粒子の標準模型では、第1世代の荷電レプトンとして位置づけられる。

性質

電子の電荷の大きさは電気素量に等しく符号はマイナスである。

電荷: −1.602176565(35)×10−19クーロン [1]
スピン: ±1/2
バリオン数: 0
質量: 9.10938291(40)×10−31キログラム [2]
陽子の質量と電子の質量との比: 1836.15267245(75) [3]

他にも弱アイソスピン、弱超電荷という性質を持つ。
大きさ

電子の大きさ(内部構造)については、標準模型では0とされるが、大きさを持つかどうか・内部構造を持つかどうかは判明していない。これまでに高エネルギーの電子の衝突実験で電子に大きさがある兆候は見つかっていないし、電子を大きさのない素粒子として扱って矛盾のない量子論(量子電気力学)もほぼ完成している。[1]

電子の大きさ・広がりに関して考慮する数値を以下に示す。

古典半径: 2.8179402894×10−15 m
電磁的上限半径: 1.0×10−18 m
2006年の実験による上限値: 1.0×10−22 m
クォーク第2版(ブルーバックス)による理論値: 1.0×10−32 m
プランク長: 1.6×10−35 m(超弦理論による電子)
シュヴァルツシルト半径: 1.3×10−57 m

原子中の電子

原子は、原子核と電子(核外電子)によって構成される。古典論的には、電子は原子核の周りを惑星のように回っていると考えられていた。量子力学的には、電子は飛び飛びのエネルギー状態を取りながら通常、最もエネルギー準位の低いところから順に原子軌道を占有していく。核外電子のエネルギー準位と化学的な意味については「電子配置」に詳しい。

ベータ崩壊の際に原子核内で発生してそこから出てくる粒子線に含まれる粒子、のうちの一つが電子である。中性子が発見される以前は、原子核中に電子が存在するという「核内電子説」が存在したが、ベータ崩壊で原子核から飛び出してくる電子は原子核中に存在していたわけではなく、弱い相互作用の結果発生したものが放出される。
電流と電子

電気伝導体内を流れる電流の担い手は、特定の原子の原子核にとらえられていない自由電子(伝導電子)である(電荷を運ぶという意味では、ホールやイオンも該当する)。特に半導体においては、伝導電子だけに注目して単に「電子」と表現することが多い(半導体素子において「電子が欠乏」と言っても、原子核だけになっている訳ではない)。

ただし、自由電子の移動する方向と電流の流れる方向は逆である。これは電気発見当時の科学者たちが電気(電流という意味としての)は+極(正極)から−極(負極)に流れると定義した後で、陰極線の発見(次項)により、自由電子の移動する方向は−極(負極)から+極(正極)であることが確かめられたのだが、電流は+極から−極に流れるということはすでに慣例となってしまっていたため、電流と自由電子の流れは逆と定義したわけである。
陽電子

反粒子に陽電子 (Positron) がある。陽電子はプラスの、電子と等しい電荷をもつ。1928年、ポール・ディラックが存在の仮説を立て、1932年にカール・デイヴィッド・アンダーソンが、霧箱を用いて観測、命名した。アンダーソンは、ポジトロンと対にするため、電子の正式な名称をエレクトロンからネガトロン (Negatron) に変更する運動を起こしたが、失敗に終わっている。
発見

電子の発見は陰極線の発見に端を発する。その当時物体は、電気を通す物体と電気を通さない物体に分類されることが一般的であった。しかし科学者たちはどんな物体の中でも電圧を上げれば電流を流すことができると考えていた。そこでほぼ真空に近い陰極線管(クルックス管)に電圧をかけてみると直線状の影が現れた。ドイツの物理学者オイゲン・ゴルトシュタインはこの直線が陰極から発せられていたことから「陰極線」と名付けた。この陰極線の正体について学者らの意見は分かれた。欧州大陸の学者は陰極線の正体は海の波のように直線的に動いているので波動であるとし、イギリスの学者は重力の影響を受けないほど高速で移動している粒子であるとした。この大陸側とイギリス側の論争に決着をつけたのはイギリスの物理学者ウィリアム・クルックスであった。クルックスは、今日、自身の名前がつけられている陰極線管、いわゆるクルックス管を用いて、以下のような実験を提案した。

陰極線管に磁石を近づけた際に、

負に荷電した粒子であれば磁界によって偏向するだろう
波動であれば磁界によって偏向することはない

また、もし陰極線の正体が荷電した粒子であれば、電界によってより容易に偏向するだろうことが予測される。1897年に、イギリスの物理学者ジョセフ・ジョン・トムソンは磁気と電気をもちいて陰極線の正体が負に荷電した粒子、すなわち電子であるということを示した。この電子の発見は原子モデルに大きな変化をもたらした。
タグ:電子
posted by gensou-choumazin at 18:06| Comment(0) | テクノロジー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月17日

宇宙開発






宇宙開発

宇宙開発(うちゅうかいはつ、英: space development)は、宇宙空間を人間の社会的な営みに役立てるため、あるいは人間の探求心を満たすために、宇宙に各種機器を送り出したり、さらには人間自身が宇宙に出て行くための活動全般をいう。

宇宙開発の歴史

「宇宙開発競争」、「アメリカ合衆国の宇宙開発」、「ソビエト連邦の宇宙開発」、「中国の宇宙開発」、および「日本の宇宙開発」を参照

人類が宇宙空間へ進出する宇宙開発の構想としては、19世紀にはSF作家のジュール・ヴェルヌの小説に描かれた砲弾宇宙旅行などがあるが、実現化を目指した研究として、1903年にはロシアのコンスタンチン・ツィオルコフスキーが、液体燃料型多段式ロケットや人工衛星、惑星への殖民など宇宙開発の基礎技術を提言した。アメリカでは1926年に、ロバート・ゴダードによる液体燃料ロケット打ち上げが成功している。ドイツでは、1923年にヘルマン・オーベルトがロケット推進に関する実証的理論を提言し、1927年には財団法人としてVfR(宇宙旅行協会)が設立される。

その後、世界恐慌などの影響で宇宙開発の研究は資金不足に陥る。宇宙旅行協会も1934年には散会するが、ドイツでは1929年に陸軍兵器局がロケット兵器の開発に着手し、協会にも所属していたヴェルナー・フォン・ブラウンやオーベルトらが中心となり、1942年には液体燃料を使ったロケット兵器の開発に成功。第二次世界大戦においてはV2ロケットなどが実戦でも使用された。大戦におけるドイツの敗色が濃厚になると、フォン・ブラウンらロケット技術者はアメリカへ投降し、原子爆弾の開発でアメリカに遅れをとっていたソ連も科学者やロケットの実物や資料などを接収し、ドイツで培われたロケット技術は戦勝国へ引き継がれた。

第二次大戦後には、米ソ両国が冷戦状態になると、国家的プロジェクトとして弾道ミサイルや人工衛星など、軍事的利用が可能な技術の研究が競われる宇宙開発競争となる。人工衛星の実現による通信網の拡大は民間事業においても期待されており、アメリカは海軍主導のヴァンガード計画に基づき1955年7月に、ソ連は8月にそれぞれ人工衛星の打ち上げを宣言。アメリカが技術的問題に直面しているなか、ソ連は1957年10月に人工衛星スプートニク1号、11月には犬を乗せたスプートニク2号に成功し、アメリカに対して技術的優位を見せ付ける。アメリカは12月にヴァンガード1号の打ち上げを実行するが失敗し、ソ連の衛星打ち上げの成功はアメリカの安全保障を脅かすと懸念され、スプートニク・ショックが走った。アメリカではヴァンガード計画を改め、1958年にはNASAが設立され、1月にはジュノーI型の打ち上げに成功した。それから米ソは、世界初の成果を上げるために激しく争うことになる。

宇宙開発競争では、当初はソ連が大きくリードし、有人宇宙飛行や月・惑星への探査機着陸など、世界初の偉業をことごとく独占した。しかし、有人月面着陸ではアメリカのアポロ計画が先行した。アポロ計画は巨額の資金が必要であり、政治家などから多くの反対を受けたが、世論の強い支持を得て計画は推進された。1969年7月20日にはアポロ11号が世界初の有人月面着陸に成功し、宇宙開発競争は頂点を迎えた。以後は米ソデタント、米ソ以外の宇宙開発参入、世論の注目の薄れなどから米ソ間の競争は緩やかになっていき、1975年の米ソ共同によるアポロ・ソユーズテスト計画で終結を迎えた。

宇宙の軍事利用、SDI構想
宇宙食の開発
宇宙ステーションでの長期滞在
フランスなどのヨーロッパ、日本、中華人民共和国の宇宙参入
各国による人工衛星の広範な利用
ロケット打ち上げの商業化
スペースデブリ問題
タグ:宇宙開発
posted by gensou-choumazin at 08:08| Comment(0) | テクノロジー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする