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2017年12月07日

集中豪雨






集中豪雨

集中豪雨(しゅうちゅうごうう)とは、局地的で短時間の強い雨、つまり限られた地域に対して短時間に多量の雨が降ることを言う。現在の日本においては一般にも学術用語にも用いられるが、雨量などに基づいた定量的な定義はない。

用語

日本の気象庁は以下の2つの用語を使い分けているが、一般的にはどちらも「集中豪雨」と呼ばれる[3]。
局地的大雨 - 単独の積乱雲によりもたらされる、数十分の短時間に、数十mm程度の雨量をもたらす雨[4]。
集中豪雨 - 積乱雲が連続して通過することによりもたらされる、数時間にわたって強く降り、100mmから数百mmの雨量をもたらす雨。局地的大雨が連続するもの[5]。
本項ではこの両方について述べる。なお気象庁は、災害の恐れのある雨を「大雨」[6]、著しい災害に至った雨を「豪雨」[7]と呼んでいて、「豪雨」「集中豪雨」は過去の災害に対してのみ用い、(予報の場面などの)これから起こる大雨に対しては用いない[5][7]。
学術的には、「大雨」は単に大量の雨が降ること、「豪雨」は空間的・時間的にまとまって災害をもたらすような雨が降ること、「集中豪雨」は空間的・時間的な集中が顕著な豪雨を指すとされるが、区別は明確ではない[2]。
似たような言葉として、雨の降る範囲に関係なく短い時間に多くの雨が降る事を指す「短時間強雨」[8]、雨の継続時間に関係なく狭い範囲に多くの雨が降る事を指す「局地豪雨」、予測が困難な突発的な大雨を指す「ゲリラ豪雨」[9]がある。これらは、集中豪雨とされる事例に対しても用いられる場合がある。
集中豪雨の概念は各国共通のものではないが、類似語がある。英語には突然の激しい雨、土砂降りを意味する"cloudburst"という言葉がある[10]。韓国語では日本語がそのまま移入され"집중호우"(集中豪雨)として用いられている。
集中豪雨という用語が初めて公に使用されたのは、1953年8月14日-15日にかけて京都府の木津川上流域で発生した雷雨性の大雨(南山城豪雨)に関する、1953年8月15日の朝日新聞夕刊の報道記事とされている。この報道以降、主に新聞などで使われはじめ、一般語としても気象用語としても定着していった[11][1]。また、用例はあったが普及していなかった「ゲリラ豪雨」という呼称は、集中豪雨が日本国内各地で続発した2008年夏以降一般に広く使用されるようになった[注 1]。

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2017年12月02日

歴史的に有名な偉大なる発明家による知られざる11の発明






歴史的に有名な偉大なる発明家による知られざる11の発明

先見の明があり、イノベーティブな頭脳の持ち主である発明家には、人を助け、生産性を向上させ、歴史の流れを変える力がある。

 そんな彼らであっても、あらゆる発明品で成功を収めたわけではない。ここでは有名な発明家によるマイナーな発明品を紹介しよう。

1. スキューバスーツ――レオナルド・ダ・ヴィンチ

 1500年代、レオナルド・ダ・ヴィンチが発明したのは、軍事上の問題を解決する革新的な方法だった。

 当時ヴェネツィアはオスマン帝国海軍から攻撃を受け、弱体化していた。そこでダ・ヴィンチは水中からオスマン帝国の船をこっそりと攻撃するためのスキューバスーツを考案。

 それは革製で、マスクやゴーグルのほか、おしっこをする袋まで備え付けられていた。スーツには2本のチューブが繋がれ、水上や小さな酸素タンクから呼吸ができる仕組みだった。

 だが、恐ろしい外見のためか、ヴェネツィア海軍は採用を拒否。現代的なスキューバダイビングの登場は20世紀半ばを待たねばならなかった。


2. アルモニカ――ベンジャミン・フランクリン


 遠近両用眼鏡の発明が有名なベンジャミン・フランクリンだが奇妙な楽器まで考案している。

 1761年、フランクリンは王立協会のメンバーがワイングラスの縁を指でなぞって奏でる不思議な音を聴いた。

 これにヒントを得て、棒に37個のガラスボウルを横並びに配列し、その棒をホイールとフットペダルに接続した。ペダルを踏むとボウルが回転し、そこを濡れた指で触れれば音が発生するという仕組みだ。

 1762年、マリアンヌ・デイビーズが弾き方を学び、世界に披露。好評を博し、ベートーベンやモーツァルトすらアルモニカ用の曲を作曲した。5,000台が作成されたが、音量が小さかったため、1800年代に消えて行った(ついでに楽器の音で精神に異常をきたすという噂もあった)。


3. 金属探知機――グラハム・ベル


 人々の安全を守り、隠されたアイテムを発見できる金属探知機。グラハム・ベルと言えば、誰もが電話を思い浮かべるだろうが、これも彼の発明だ。

 1881年7月、ガーフィールド米大統領は狙撃され死にかけていた。医師はどこに弾丸があるのか見つけることができずにいた。そこでベルは大統領の命を救う装置の発明に取り掛かった。電池、コンデンサー、ハンドル、クリック音を聞く電話の受話器で構成されたこの機械を、ベルは誘導平衡装置(induction balance device)と呼んでいた。

 生憎、この装置で弾丸を発見することはできなかった。設計が正しくなかったか、弾丸の位置が深すぎたか、ベッドの金属マットレスが干渉してしまったか、理由は定かではない。ガーフィールド大統領は1881年9月19日に逝去した。


4. 炭酸水を作る錠剤――ヘディ・ラマー


 美貌と知性で知られた女優ヘディ・ラマーは、電波の周波数を操作して、魚雷に対する妨害電波の干渉を防ぐ、周波数ホッピングシステムの共同発明者でもある。

 1942年8月に特許を取得するが、アメリカ軍がこれを使うことはなかった。数十年経ってから、世界は彼女の特許がWi-Fi・GPS・Bluetoothといった現代の無線技術の前身であることに気がついた。これ以外にもラマーは炭酸水を作る錠剤を発明している。

 実際に発泡する水を作ることはできたが、味は良くなかったようで、アルカセルツァー(頭痛薬)の味に似ていたという。


5. おしゃべり人形――トーマス・エジソン


 蓄音機を発明したトーマス・エジソンが次に取り組んだのが、おしゃべりをする人形だ。1890年に特許出願された人形は、身長60センチ、木製の手足がついており、小型の蓄音機を内蔵していた。

 エジソンは蓄音機を利用すれば、ずっと複雑な単語やフレーズを作り出せると考えていたが、当時の技術的限界のために一種類の音声しか録音できなかった。それは女性の声で『きらきら星』や『ジャックとジル』といった童謡の歌詞を話す。

 残念なことに、高価すぎたことに加え、壊れやすく、しかも音質も良くなかったために非常に不気味で、子供や親の間で人気を博すことはなかった。


6. 捕鯨砲――クラレンス・バーズアイ


1920年代、実業家のクラレンス・バーズアイは海産物を瞬間冷凍・梱包・配送するシステムを考案した。冷凍食品業界の父と知られる彼(バーズアイ社は今日でも冷凍野菜を販売している)だが、クジラを捕える機械式の捕鯨砲も発明している。

 アルミとゴムでできており、反動なく射出できる優れものだった。バーズアイはこれで多くのナガスクジラを捕獲したが、仕事というよりも趣味のようなものだったようだ――少なくとも公式にはそう伝えられている。捕鯨に反対する向きからは、この発明ゆえに非難されることもある。


7. 木製の水泳用フィン――ベンジャミン・フランクリン


 11歳のフランクリンは、泳ぐことが大好きで、もっと速く泳げるようになりたいと思っていた。そこで手首にフィンを装着してみることにした。

 木の板に穴を開け、親指が馴染み、握りやすいように加工。これで泳ぎの速度は上がったが、余計な負荷がかかり疲れることが判明する。もちろんフランクリンはその改良に取り組んだ。彼は生涯に渡り水泳に貢献し、1968年に国際水泳殿堂入りを果たした。


8. シェイプアップシューズ――ジョイ・マンガーノ


 “ミラクルモップ”の発明で有名なジョイ・マンガーノは、一種の厚底靴も発明している。

 ”パフォーマンスプラットフォーム”というスニーカーは、ゴム底のかかとの部分にゲットフィットテクノロジーを採用しており、履くだけでハムストリング・大腿四頭筋・ふくらはぎの引き締め効果を得ることができる。

 2010年に発売されたシェイプアップシューズは、通勤しながら筋肉を鍛えられるという一石二鳥の効果を謳う。スニーカーとしては悪くない。


9. 真空パック――トーマス・エジソン


 発明王エジソンは真空パックの前身も発明した。

 主な用途は肉ではなく、果物だった。エジソンは1881年10月、果物や野菜をガラス容器に入れ、ポンプで空気を抜き、熱で密封するという保存法の特許を取得した。そのアイデアを示した奇妙な装置の図案が残されている。


10. 大豆車――ヘンリー・フォード


 1934年、植物学者のジョージ・ワシントン・カーヴァーとヘンリー・フォードは文通友達となり、農業や自動車に関してお互いが知っている知識を交換することにした。

 ガソリンの代わりとなる代替燃料を手にするため、フォードはカーヴァーが研究していたピーナッツなどの作物の性質を調査。1937年、カーヴァーがフォードを訪ね、作物を使った共同実験を行った。

 農産化学に対するフォードの関心が結実したものが大豆車である。これは大豆を調合したもの(おそらく他に麻、亜麻、小麦などが使われているが、製法は失われている)からプラスチックを作り、それを基に製造された軽量車両である。ミシガンのサマーフェスティバルで公開したが、人気は出なかった。


11. 初期のロボット――レオナルド・ダ・ヴィンチ


 ダ・ヴィンチの芸術家としての技能は、時計から空飛ぶ機械まで、発明のアイデアをスケッチする上で便利だった。

 彼は他にも自動推進式カートや動く甲冑といった発明のスケッチも残している。ダ・ヴィンチがロボットの騎士を実際に作ることはなかったが、スケッチからは歯車・ホイール・ケーブルのシステムによって、自動で口を開く、腕を振る、立ち上がるといった動作が可能であったことが窺える。

 学者の見解によると、このロボットの騎士は王やその賓客を楽しませるために考案されたらしい。
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「月面に日本人」目指す、米構想に参加検討へ






「月面に日本人」目指す、米構想に参加検討へ

2017年12月01日 12時19分

 文部科学省は1日、今後の国際宇宙探査に関する報告書案を公表した。

 米国が2020年代に計画している月上空の宇宙基地建設構想への参加を目指す方針を示した。

 報告書案は、1日午前に開かれた政府の宇宙政策委員会で了承された。政府は報告書案の内容を盛り込んだ宇宙基本計画の工程表改訂版を、今月中旬に正式決定する。米国の宇宙基地構想に技術面で貢献することで、日本人宇宙飛行士による初の月面有人探査を実現したい考えだ。

 報告書案は、藤崎一郎・前駐米大使ら専門家で作る有識者会議が取りまとめた。月の有人探査を目指す理由については、月の資源から将来の火星有人探査などに必要なロケット燃料を調達できる可能性などに言及した。国際宇宙探査に参加することによって、科学技術の発展や産業競争力の向上、安全保障面などの利点があると指摘している。
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経験者が語る「火星の歩き方」






経験者が語る「火星の歩き方」


日本人宇宙飛行士の若田光一さんが7月末、国際宇宙ステーションでの4カ月半に及ぶ滞在を終えて地球に帰還した。冷戦時代、米ソで始まった有人宇宙開発は日本や欧州、中国が加わるなど、すそ野が広がってきた。

しかし、地球からの到達距離で考えれば、現状は40年前と比べて大きく後退したままだ。約40年前、アポロ計画の宇宙飛行士12人が月に降り立ったが、以降、月への再訪はない。しかし今、米国、ロシア、欧州が2030年代の火星有人探査を検討するようになり、その前段として月の有人探査もスケジュールに上がってきている。

月と火星には多数の無人探査機が送り込まれているが、無人探査と有人探査では輸送手段も探査の仕方もリスクもまったく違う。火星の有人探査を考える場合、参考になるのは地球以外の世界での有人探査の先例、つまり月の探査だ。

月に降り立った12人のほとんどは軍出身のパイロットだったが、その中にただ1人、地質学が専門の科学者がいた。それが著者だ。著者は月でのフィールド調査の体験をもとに、火星に降り立つ調査隊が経験するであろう状況や、探査を成功させるためのノウハウや注意点などをつづっている。
posted by gensou-choumazin at 10:20| Comment(0) | 日経サイエンス ハイライト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする